パワハラ上司

まず断わっておく!
これはあくまで一般論である。
決して自分の身の回りにあることではない・・・。

さて、昨今パワハラという言葉がセクハラと同じくNGとして定着してきた。
まあセクハラは論外。
パワハラは微妙だなあというのが、自分の感覚であった。

と言うのは、パワハラと指導の境界線が不明確で、当事者の意識によって判定が分かれると思っていたからである。

ただここで改めてパワハラの定義を確認してみた。

「会社などで職権などの権力差を背景にし、本来の業務の範疇を超えて継続的に、人格と尊厳を傷つける言動を行い、就労者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安を与える行為」

と読んで、ああ思い違いだったと感じた。
つまり当事者の意識うんぬんではなく、人格と尊厳を傷つける言動ということであるから、指導という範疇からは外れていることになる。

例えば「お前はほんとに使えないな、もう辞めちまえ」というようなもの。
この言葉を聞いて、いや、辞める訳にはいかない、使えると思われるような人材になってやる・・・、と考える人は今時少ないだろう。
負けん気を刺激する方法は、万人に対する指導方法ではない。

つまり指導するということは、その対象となる人にとって効果的かどうかということも考えなければならない。

しかし現在、人は減らされ、本来マネージングすることが仕事であるはずの人がプレイヤーとしての役割も担い、どちらかと言えば目に見えるプレイヤーとしての結果を求められているとなると、指導は画一的になる。

言い訳も簡単、「平等な人事」だ。

ちょっと、話がそれた。
パワハラ上司には2通りの人がいるらしい。
一つは、自分に自信のない人。
もう一つは、上司自身がその上司から無理を強いられている人。

自分に自信がない人には、パワハラを受けることでどのような気持ちになるのかを第三者を通じて説明してもらうことが必要。
無理を強いられている人には、一緒に問題解決に当たると言う姿勢が必要。

だそうだ。
ただいずれにしても、その対象となっている当事者は目の前のことで一杯で、そんなことは考えられないのだから、周りにいる人が第三者的に関与していく姿勢が必要になる。

やっぱり「チームワーク」なんだよなあ、組織とて。

上海証券取引所について

上海証券取引所が米国の2市場に次いで世界第3番の市場になったらしい。

いづれそうなるであろうことは皆、予見していたと思うが、やはり早い。

欧米で日本人は、ぱっと見で分かるそうだ。
判断基準は、「元気がない・・・」

ちょっと前に記事で「美人のもと」というものがあった。
曰く、「美人は階段で目立っている」という。

そのこころは、階段を登る視線が適度で、颯爽と登るというもの。
いつも笑いをかみこらしながら読む連載記事なのだが、記事が背筋に言及するに至って、はっとした。

そう、日本人は背筋を使って、堂々と、颯爽に歩いていないのではないか?

市場規模の大小は問題ではない。
日本がここまで成長し、蓄積してきたこと、
自信を持って、背筋を使い、颯爽と歩いて行こう、と思った。

もうじき今年も終わる。
今年は何ができて、何ができなかったか?

せめて背筋を鍛え、颯爽と歩いて行こう。

Googleの恐ろしさ

グーグルのIPHONE、アンドロイト携帯向けのサービスで、音声認識がある。
携帯にしゃべると音声認識し、HP等を検索できるサービス。

音声認識は将来の社会を考えるに、まあ間違いなく必要になるサービスだし、
何より人間はコミュニケーションに優れていたことから、生き残った生物だ。

さてそのグーグルのサービスだが・・・、
「圧巻である!」

実は音声認識技術については色々と調べていたこともあって、要素技術を持つ会社も知っている。
何より産総研でも研究されており、恐らく世界の研究と比較してそん色ない水準にあると考えられる。

しかし、実際のサービスとして提供してきたのは、グーグルであった。

当然好奇心の塊の自分はインストールし、試してみた。
使い勝手は・・・、
良好である。

この精度ならすぐに様々な展開が考えられ、収益化させることも難しくないだろう。
何よりこれまでテキスト検索主体であったものが、大きく変わることになる。画像検索ということだ。

グーグルのサービスインに先駆けて、IPHONE音声認識アプリを提供したものがある。
twitterへの投稿を音声認識で行うというもの。
流行りのtwitterであり、投稿が楽にできるため認識はされるだろうが、ビジネス化できるものではない。
当然近い将来グーグルと戦う必要がある。

恐ろしきグーグル。
「世界の情報を整理する」という社是は健在である。
日本からこれに立ち向かう、もしくはグーグルに技術を買ってもらえるような企業は存在しないのであろうか?
このグーグルに対抗するには、やはりスピードしかない。
ベンチャー企業よ、どんなに条件が悪くても、資金を一気に集め、一気に開発し、先行メリットと取らなければ、この世界では勝ち残れぬ。

国内ガラパゴス市場だけを対象にしているのでは、将来はない。

理想の社長

自分は鼻っ柱が強いせいか、中々人を尊敬できない。

すごいなあとか、キレる人だとか言ったり、思うことはあっても、
心の底では
「いやでもこういう面は悪いところだ」とか
「この部分では自分の方が・・・」とか
考えてしまう嫌な面がある。

そんな自分でも、それを超越して心服してしまう人がいる。

過去の上司にもそういう人は何人かいた。
共通しているのは、育成に力を入れている人だった。
そして陽気に口うるさい人だった。

ヒトは誰でも自分を知ってもらったり、関心を持っていられると
その相手のことを好きになるものらしい。
コミュニケーションがとれると言うのはそういうことなんだろう。
過去の上司はやはり「年の功」か、うまかった。

そして、全然別次元で尊敬する社長がいる。
何と言うか、絶妙のバランス感なのである。

人情の部分と冷徹な部分。
譲る部分と譲れない部分。
冷静な部分と熱い部分。

多分、一緒に仕事をしたら、寿命は何年か縮むだろう。

しかし自身で学んだ知識と、外部から入れた知識を活用し、
絶妙なバランス感覚で仕事を仕上げていく。
傍で見ていて、誠に見事なのだ。

その社長の経歴をなぞって生きてみたいと思うが、残念ながら、
社長は理系の思考回路を構築された方。
方やコテコテの文系思考回路では、やはりベースが違うか・・・。

じゃあ、自分は面倒見の方で生きていこう!

話題性について

先日のボクシング「亀田VS内藤」の試合は、視聴率が43%もあったそうだ。

これはWBC等、今年のスポーツ視聴率トップをうかがえる数字とのこと。
そんなに人気があったのか?

とは言え、皆が亀田を応援したり、内藤を応援したりするために見たのではないだろう。
やはりドラマ性とスポーツが混じり合ったところに何かしら惹かれるものがあって、まあ見てしまった、という人も多いのではないだろうか?
つまり中身ではない、話題性ということになる。

例えば純粋にボクシングの技術なり、記録なりを見たいということであれば、別の王者が防衛を続けているタイトルがあった。
世界レベルの戦いということであれば、野球、サッカーがあった。
やはりその視聴率は、技術や応援したいというような気持ちからではなく、話題性への好奇心が強かったのだと言えるだろう。

これはビジネスの世界もそうなのだろうか?
ベンチャー企業が開発した技術より、話題性のある大手の商品となってしまうのであろうか?

いや、そうとばかりは言えまい。twitterがある。
そう大手以上に時間や手間暇はかかるが、話題性を提供するのはマスコミだけではない、ネット上で、クチコミで、色んな媒体を利用しつつ、話題性を提供すれば、上記ボクシング並みに人は見に訪れるかもしれないのだ。
頑張れ、ベンチャー

インターネットカフェについて(その2)

インターネットカフェもしくは漫画喫茶というとどんなイメージだろうか?

自分は初めて調査と称して入るまでは、寄り付くことがなかった。
何だか不衛生と思っていたし、ネットカフェ難民報道など、どんよりとしたイメージがあったからだ。

初めて訪れた時の印象は・・・、
「思っていたほど居心地悪くないな」というものだった。
その後、色んな会社のネットカフェに入ってみたが、中には非常に清潔で、自分の偏った見方に恥じ入ったこともある。

インターネットカフェの利用は男性75%、女性25%。
一番の動機は「漫画を読みたい」「インターネットを利用したい」だそうだ。

またインターネットカフェ発祥の地は、喫茶店の激戦地「名古屋」。
延長料金制をとったことで、爆発的に普及していったらしい。

確かに待ち合わせまでの空き時間とか、2名程度の旅行打ち合わせとか、オンラインゲームの利用とか、ケーブルTVを見るだとか、利用方法は様々である。

また店舗は路面にある必要はなく、むしろビルの空中店舗であることが望ましいことから、ビルオーナーにとっても歓迎したいお客のようで、家賃を抑えることもできる。

長く滞在してもらうのが売上に貢献するため、普通の喫茶店のように回転率を向上させ、一方でそのために店員を増員しというようなジレンマにも陥らない。

誠に良くできたビジネスモデルである。

しかし、業界は結構厳しいようだ。
原油高の影響、放火事件(本当はネットカフェではないが)の影響、景気低迷、インフルエンザの影響・・・、色々と逆風が吹き荒れる。

そういう厳しい環境の時こそ、創造的破壊が起こり、新たな価値観をもたらすインターネットカフェが現れるかもしれない。
サービス業は片時も気を許すことのできない、緊張感みなぎる業種である。

ROEについて

ROE:自己資本利益率(return on equity)とは何か?

株主資本(払込資本金と内部留保との和)に対する当期純利益の比率である。
要は投下資本をどれ程うまく使って利益を得たかという指標。

よく「うちはROE経営を貫いていまして・・・」などと聞くことがある。
果たしてそれは本当に有益な指標なのだろうか?

以前書いたが、「会社は誰のものか?」ということにつながってくる。
「会社は株主のもの」これが教科書的な答えだが、

自分では会社は公共性を持っており、何かしらのサービスを提供することで、世の中をより住みよいものにする使命を持っていると考えている。

そのためオーナーは確かに株主だが、社長を含めた経営陣並びに従業員の協力あってのことなので、仕入先・販売先を含めて関わっている人、全体のものであるというのが、自分の見解である。

さて、ROEだが、この指標が大事にされるのは、株主の視点であることはお気づきだと思う。
要は「会社は株主のもの」だから、その投下資本でどれ位の利益を得たか?ということを表すものである。

何が言いたいか?

そう、ROEに偏重した経営なんて、要は株価の短期的なつり上げを図るための方便であるということ。
以前書いた、ストックオプションと株主の利益が一致したことによる弊害である。

ROEを上げるために、従業員を解雇したり、研究開発を中止したりということは本末転倒な話であって、とてもじゃないが社会的使命を果たしているとは言えない。

ベンチャー企業は雇用を生む産業を創出できる可能性がある。
ROEなんて、ビジネススクールから生まれた変な指標に惑わされず、軸のぶれない経営を行ってほしいと心から願う。