働くことの意義
自分は決して働くことは嫌いではない。
特に色々と自分で考え、スケジュールを組み、色々な人に会い、
新しい発見と、知的好奇心を満足させ、成果や感謝の評価を受ける。
しかしやらされる仕事、報告書、誰がやっても同じ仕事は非常に苦手だ。
根気がないのだろうと思う。
ある記事で、過疎で仕事もなく愚痴ばっかり言っていた村に、日本の文化を彩るような仕事が舞い込んだ時、人は俄然生きがいを見出だし、色んな事に前向きに取り組むようになったというものがあった。
何か人の役に立ちたい、社会に貢献したいということは、自己実現の場であり、働くことの意義でもあると思う。
産業を興し世界を変える人、村を再生する人、どんな結果であっても活き活きと生きることが楽しいわけで、お金を稼ぐ手段だから働くというのでは、働くことに費やす時間は長すぎる。
新年の抱負を家族で述べた時、「給料が減らないように、一生懸命働く」と言い、「なんじゃ、そりゃ?」と極めて不評を買ったが、今思えばつまらないことを言ったものだ・・・。
子供には「タバコをやめる、でしょ?」と言われ、「あ、やられた」と思ったのは言うまでもない。。。
面談時刻
約束の時間に30分遅れてきた人がいる。
その間、何も連絡はなかった。
メールで時間の打ち合わせをしていたので、
当方に誤りはない。
まあかく言う自分も営業をしてきた人間だから、
時間に遅れることがあることは、良く理解できるし
仕方ないと思う。
ただ、遅れる旨の連絡は欲しかった。
きっちり、計ったように30分遅れてきたので、
時間を間違えたのかも知れない。
そう言えば疲れているような表情だったので、
何か困難な問題を抱えているのかもしれない。
当方も話に力が入らない。
実りのある面談だったのか??
実にくだらないことだが、人の心理とはこんなもんなのだろう。
営業マンたるもの、時間には厳しくあれ!
と自戒した一日でした。
出会いについて
久々かつ突然だが・・・、
ビビッときた会社がある。
もちろん投資したい。
ただこの環境下、その是非は検討を要するし、時間の問題もある。
中々うまくいかないものだ。
自分が一人の決定権者ならば、迷うことはない。
おそらく満額引き受け、社外役員として参入することを条件とし、なんらかの保全的投資契約を締結し、突き進んでいくだろう。
そうできないことに投資は醍醐味があるのかも知れない。
これまでの日記で、投資によって自社だけが利益をあげることは本懐でないということを述べたことがある。
そう、大げさに言えば、「未来の社会を作る使命感のようなものを持つ」という目標。
つまりは社会、企業、自社がウィンウィンウィンであることを目指し、会社が公器としての存在になるようバックアップするということ。
それを目標としうる会社だと思うのだ。
自分がこれまでの人生で経験したり、学んできたことを出し惜しみなくぶつけたい、そう思える会社なのだ。
分かっている、自分は舞い上がっているのだ。
こういう気持ちになったのはこれまでの人生で2回ある。
一度は受験の時、まだ入学試験を受ける前だというのに、理想的だと思える学校の案内を見て、入学後の自分を想像していた時。
もう一度は同じく就職活動中に見つけた理想的なポリシーの会社。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
どちらも言えるのは、自分はその道には進まなかったということ・・・。
さて、今回のこの話は、どういう決着を見るのだろうか?
声
「目は口ほどに物を言う」
よく聞かれることわざである。
あるいは口以上に物を言っているかも知れない。
目の輝いている人は男女問わず魅力的だ。
さて今日は「目」じゃなく「口」の方だが・・・。
口から発せられる「声」。
いつも惚れ惚れする声を発する方がいる。
電話などで話している時、何故か自然と背筋が伸びる。
声にも魔力が潜んでいるように感じる時だ。
喫茶店などでも、良い声で応対している店員さんがいると、また来ようかなと思う。
接客にとって大切な要素だろう。
発する声に技術などはないだろう(意識して鍛錬することはできるかもしれないが)。
その人が日々自らを省みて、自分自身を高めようと努力している表れなのではないかと考える。
同じ時間を過ごすなら、ボソボソ、ゴニャゴニャしゃべるより、五感で楽しむ会話にしたい。
も、もちろん、内容も重要だが・・・。
新聞について
先日民主党の小沢氏が民主党員多数を連れて中国を訪問した。
中国寄りの外交に賛否両論であるが、それはここでは置いておく。
自分が気になったのは、日経新聞の記事だった。
「中国メディアでは、多数の議員の訪中に現代の朝貢だと・・・」
文章は違うが、このような内容の記事を書いていた。
なぜ、これ(朝貢)を書いたのか?
書く必要のある記事なのだろうか?
例えば、中国全メディアがそのような記事を書いているならば、大いに問題提起し、自由な言論を戦わせることも必要かもしれない。
また一部のメディアが視聴率、もしくは販売部数ほしさに書いた記事ならば、それを取り上げるのは節操がなさすぎる。
日本は中国に、既に様々な面で依存しているのであるから、お互いの国民に誤解を生じさせるような中途半端な記事は必要ないと感じた。
情報提供媒体が増加している現在、新聞の役割はあくまで中立な立場をとって、事実をありのまま伝えるという大原則ではなかろうか?