社外取締役について

経営の透明性を示すため社外取締役を選任する企業が増えている。

これまでの認識はその程度だった。
そしてその制度に疑問を感じていた。

というのは、会社のこと業界のことを良く分かっているのは、プロパー社員ではないのか? と考えていたからだ。
また従業員のモチベーションとして、滅私奉公をして、会社の経営に携わることも必要ではないかと考えていた。

しかしそもそもの社外取締役の成り立ちは、別の意味があった。
役割分担ということだ。

CEOは経営に関する責任を一身に受ける代わりに、権限は大きい。
日本のサラリーマン社長の権限と違うことは、日産のゴーン氏の例で理解できる。
つまりCEOというものは、その役割をこなせる人がなるべきで、例えば営業のプロとか、開発のプロがなるべきではない、ということになる。

しかし人事権を含め全てを掌握してしまうと、その経営の成否を判断する機能を有する者がいなくなり、年一回の株主総会で蓋を開けてビックリという結果にもなりかねない。

そこを埋めるのが社外取締役ということになる。
そして人事委員会を社外取締役が掌握し、CEOの経営についてのチェック機能を持つことになる。
株主が社外取締役をチェックし、社外取締役がCEOをチェックし、CEOが会社経営(従業員)をチェックする。
そういう役割分担が理想ということである。

しかしながら、エンロン事件等問題が起こったのは、CEOのストックオプションと株主の利益が短期的に一致したため、その目的達成のためにCEOの息のかかった社外取締役が選任され、チェック機能が形骸化したことにあるという。

なんとも理想と現実は・・・。

また、面白いと思ったのは、会社内での役割分担である。
ベンチャー企業の場合、社長が研究開発者ということがよくある。
当然研究開発者であるから、事業が拡大してくると経営に軸足を移す必要がある。
もともと研究開発が好きな人が経営できるだろうか?

シリコンバレーではそういう場合、創業社長は技術部長や会長になり、社長を外部から招聘する。
しかし当然その研究開発ノウハウがベンチャー企業の独自性であり、そのようなノウハウに希少価値があるのだから、その創業社長は肩書は部長でもCEOより給与が高かったりする。
つまり肩書ではなく、仕事に価値がついて回るということだ。
極端に言うと、社長は誰でもできるが、その技術は部長じゃないとできない、という価値観である。

ベンチャーキャピタルのリスクの取り位置によって、上記のようなことも考えていかねばならない。
学ばねばならないことは、山のようにある・・・。