1年が経ち
最後に書いたのが2010年2月だったので、ちょうど1年ぶりの記載となる。
そう何かとドタバタしていて、落ち着くのに1年かかったということだ。
何にドタバタしてたか、、、
担当業務が大幅に変わったのだ。
現在、どちらかというと労務に近い仕事をしている。
そのため、表記の「ベンチャーキャピタル育成日記」では相応しくなく、
タイトルを替えるか、それとも別の日記にするか。
次のタイトルは電子書籍に関わることにしようかと考えている。
しばらく考えます。
ビジネスプラン発表会について
最近、この手の事業プレゼン発表会を聞く時、以前ほど
事業内容の新規さに戸惑うことが少なくなった。
聞くべきポイントが分かるようになったと言えば、高慢この上ないが、
事業におけるリスクに着目できるようになったからなのだと思う。
投資家にとって、リスクはあって当然、そのリスクを克服できるビジネスモデルなのか、できる人なのか、できる可能性はどれ位かを図るのが醍醐味で、リスクがあるからやめときますでは商売にならない。
また一方で、そのリスクを取って投資をした場合、どれだけそのリスクを回避、克服できるかは投資家の腕の見せどころでもあり、法人組織として投資をしている場合、組織ぐるみで対応することが必要だと思う。
しかし思うにこの業界人は、基本的に一匹狼で動くのが好きそうである。
VC間のつながりは大切にしているが、組織の中では個々バラバラで、組織力でIPOに結び付きました、、、なんて言っているVCは見たことがない。
系列であっても、業界内でとんがったVCでありたいものだ。
ベンチャーキャピタル業界について
最近のベンチャーキャピタル業界は非常にお寒い。
新興市場の立ち上がりからVCバブルが起こり、そして現在のお寒い状況に陥る。
独立系で上場VCは株主への対応からとんでもないリストラを強行しているようだし、金融系のVCも撤退もしくは非常に縮小した規模での運営を余儀なくされている。
やはりリスクマネーに対する日本の見方は、一様に後ろ向きだ。
確かにVCは経営関与し、企業の育成・成長に頭と体を使うということについて、なるべく労力を惜しんできた。
むしろエンジェル的に関与する投資家の方がよっぽど魅力的だと思うことすらある。
いづれにしても、VCはIPOをEXITとすることに目を向け過ぎであるし、ビジネスモデルに偏りがあったことは否めない。
そう、要は事業として利益を生み出さないといけないということに対して、自らの社会的意義を理由に、怠慢であったと言えるのではないだろうか。
新しい社会を創造する、そんな意気込みを皆持っているとは思うのだが、何分目先の投資案件をいかにして通すかということに終始していなかったか?
反省する点は大いにある。
かくいう自分が属している組織も、明日はどうなるか分からない。
先日、自分が運命的な出会いだと思った会社へ投資できないかもしれない。
また自分がこの業界から去ることになるかもしれない。
しかし誰が何と言おうと、リスクマネーの供給者がいない社会に、成長はないと思っているし、その志は失ってはならない。
本来的には、今、このタイミングこそが投資時期だ、ということは業界の人なら皆考えているだろう。
WEB進化論について
今更であるが、「WEB進化論」を図書館で借り読むことにした。
自分はどちらかというと、熱しやすく冷めやすいタイプ。
何かに夢中になると、それこそ寝食を忘れ没頭し、ある程度のところまでの理解だったり、技術レベルまで一気に突き進む。
そして・・・、そこで疲れ切り、分かった気になって終わってしまう、いわゆる器用貧乏である。
それはさておき、上記の本。
ある方が勧めていたこともあり、もう出版されてから時間がたっていること、WEBの世界は日進月歩であり、何年か前の本に価値があるかよく分からなかったことなどから、興味は持ちつつも手に取ることをためらっていた。
しかし、そこは図書館である。
何の気なしに検索したところ蔵書とのこと。
う〜ん、仕方ないなあ・・・、というのが、不届きながら最初の感想。
そして昨日から読み始めた。
・・・・。
面白い。
WEB2.0とは何なのか?
グーグルのマイクロソフト、Yahoo、アマゾンとの差異。
ボンヤリ分かったつもりになっていたことが、確実にインプットされる快感。
そしてテールロングの本当の理解とそれが実現された背景。
今後のビジネス展開。
自分の感度のなさには飽きれつつも、一気に読んでしまった。
この内容は実に刺激に富み、知的好奇心をくすぐるもので、社会人というより進路を決める高校生当たりにお勧めである。
思えば偏読していた自分の高校時代。
せめて若い可能性を育てる業務を全うしたい今日この頃である。
iPadについて
iPadはどうなのだろう?
ジョブスのプレゼン模様を読んでいる時は、非常にわくわく感があった。
要求される機能を絞り込み、機能を限定し、安価に、そして何より美しさをもってそのニーズに応える。
そして圧倒的な注目度でもって、世界中にプロモーションを行う。
お見事! という他ない。
しかしながら時間とともに、別にiPadでなくてもiPhoneでモバイルとしては十分と思う自分がいる。
両者の違いは何かと考えると・・・、
「電子書籍」及び「動画」に行きつく。
キンドルが書籍なのに対し、動画もというところがプラスαの部分で、「キンドル持つならiPadはもっと色々楽しめるよ」という違いのようだ。
となると、書籍オンリーか、PC持ち歩きかであるから、iPhoneユーザーの自分は買うなら書籍オンリーで良いことになる。
アップルがこの開発にどれ位の資金を投じたかは調べていないし、どのような販売計画なのかは分からないが、う〜ん?、と思っている。
モノづくりについて
最近展示会に行って思うことは、
「中国・韓国企業及び来場者の増加」だ。
今やモノ作りに関して中国・韓国企業は相当なノウハウを蓄積している。
半導体しかり、電気製品しかり。
「いやいや、まだまだ品質面では・・・」
「カンバン方式などの工程管理では・・・」
と言いたい人もいるだろう。
そんなのは遠い昔の話。
今や日本のメーカーに勝る効率的な原料の供給等、先に進んだ仕組みを構築しノウハウを蓄積している。
以前書いたが、米国ではROE経営を推し進めたことからも、重たい資産を持たない経営、つまりソフト産業へ傾注していった。
さて日本の進むべき道は?
研究開発費を削減していていいのだろうか?
話は全然変わるが、家電って何故にここまでネットと融合しないのか?
例えばIPHONE。
ハードの説明書なんて、なくても良い位分かりやすい。
触れることで、どんどん可能性が高まる感じがする。
一方、日本製ビデオカメラ。
ネットにおとし、HDDを大量消費し、DVDに焼くのに時間と労力を要し、TVで見ようとするとDVDプレイヤーが読み込めなかったり、PCなしでDVDライターもあれば、DVDプレイヤー直つなぎで編集もできるが・・・、訳がわからない。
マニュアルはちょっとした百科事典だし、何故にこんなに我慢して使わなければならないのだ・・・。
ガジェット機器は利用者の声を反映するもの。
大手メーカーでは製造できない。
やはりベンチャー企業の勢いが必要だ。
そのためには、資金を用意せねばならぬ。
中堅どころのメーカーよ、いっそのこと商売を転換してみたらどうだろう?
え? お前VCだろって?
いやはや、耳が痛い・・・。
マイクロファイナンスについて
マイクロファイナンス、名前は知れどもこれまであまり実態は知らなかった。
貧困にあえぐ国については、アジアのとある国に過ごした経験があるので実態は知っているが、マイクロファイナンスがどのようにその手助けをするのかは知ろうとしていなかった。
とある縁で、マイクロファイナンスに造詣のある会社と知り合い、内容を調べてみた。
数十米ドル規模のファイナンスを主に女性に行い、生活を向上させるため、例えばミシンを新しくして生産性を上げるとか、ブタを買って生産量を上げるとか、そのような使途になるようだ。
女性向けと言うのは、男性だとその資金が生活向上に使われない可能性が高くなるとのことで、世界を問わず男性はついつい・・、というのが多いようだ。
仕組みは素晴らしいし、デフォルト率も低く、十分ビジネスとしてやっていけるという面白い仕組みだと思う。
それによって生活環境が改善されることも素晴らしい。
前向きに生きる人への救済措置だと言える。
しかし一方で、そのような格差を生んでいるのは何なのだろうか?
政治? 社会? 経済?
最悪の状況が起こった時、人は慌てて何とかしようとし、若干の改善ができ、それに満足して根本的な解決を先送りにする。
もっと根の深い問題があるのかも知れない。
ただ、お金だけがすべてではない。
何かの逸話で、どこかの途上国の人が先進国を訪れた。
帰国して、民衆に先進国がどのようなものなのかを問われ、
先進国では2つの大事なものがあると答えた。
一つはお金である。これがあれば色々便利なものが買えるし、好きなものを集めることもできる。
もう一つは星空だったり、森だったり、きれいな川だったり、自然物だ。
我々の国にはその自然がある。
だから、我々の国は豊かな国なんだ。
さて、我々の国はどうなんだろうか?